「聴覚障害者とは」

(社)東京都聴覚障害者連盟
事務局長 越智 大輔

 聴覚障害者は外見からはその障害の状況が判断できないため、なかなか理解してもらえなかったり、誤解されたりすることがあります。同じ聴覚障害者といっても、その障害の種類や状況、特に生まれつきか幼少時に失聴した場合と、ある程度成長してからの失聴の場合は対応が全く異なります。

1.障害の種類

大別すると鼓膜などの音を聞き取る器官に障害がある「伝音性難聴」、聞き取った音を脳に伝える聴覚神経に障害がある「感音性難聴」があり、これらは同じ聞き取り程度(デシベル)でもその聞こえ方に大きな違いがあります。
「伝音性難聴」は音が聞き取りにくくても、情報が正しく脳に伝わるため補聴器や人工内耳を付けるとかなり聞き分けることができるようになります。ただし、音が大きければ聞きやすいという訳ではありません。大きすぎる音はむしろ聞きにくく、眼鏡と同じで聞き取り状態に合った補聴器の調整が必要です。高い音が聞きやすい人、その逆の人など聞き取り方はさまざまです。
「感音性難聴」は音を情報として脳に伝える神経に障害があるので、補聴器等を付けても音を感じるだけで識別しにくい場合が多いようです。これも神経がどのような状態にあるかによって変わり、全く判別できず「雑音」としてしか認識できない人から、補聴器等を効果的に使うことである程度判別できる人までさまざまです。
障害の場所が違うので、この2つを併せ持った人もいます。(複合性難聴)

しかし、そういう「音が聴こえない、聴きにくい」という一次的な障害より、これから述べる二次的、三次的な問題の方が影響は大きいのです。

2.先天性または幼少時の失聴者(ろう者)

まず言語の獲得が問題となります。健聴者(聴者という言い方もあります)は、乳児期から両親や周囲の会話や音声から自然に言葉(言語)を獲得しますが、聴覚障害児はそれができないため、視覚的に言語を獲得しなければなりません。
視覚的な言語獲得手段として、おおまかに分けて口話(読話・発語)によるものと手話によるもの、残存聴力の活用(補聴器・人工内耳)、そしてこれらの併用があります。口話の場合はある程度しゃべれるようになりますが、コミュニケーション手段としては問題が多いため、母語の確立がなかなか難しく、その結果、学力が低くなったり、文章の読み書き能力に若干問題が生じることがあります。手話によるものは我が国では研究が遅れたこともありまだ十分に普及していませんが、海外では手話を母語として言語を獲得する方法の有効さは実証されています。
特に、戦時中や戦後の混乱期が学齢期だった高齢ろう者は十分な言語獲得環境がなかったため、文章の読み書きが苦手な人が多いようです。そのため、書物や新聞等による知識や情報を得ることができず、だれもが知っているような一般的な知識を持っていなかったり、打ち消しのような複雑な言い回しは手話通訳を通してでもなかなか理解できないというような問題があります。

3.言語獲得後の失聴者(中途失聴)

5~7歳以上のある程度母語が確立した後での失聴の場合、教育環境にもよりますが文章の読み書きはほぼ問題のないレベルです。声も普通と変わりないか慣れれば判別できる程度の方が多いです。
しかし、学力や読み書きに問題はなくても、その成育環境からの精神的な影響が見られる傾向があります。特に普通の学校で育った場合、グループでのコミュニケーションが苦手だったり、自分の意見をなかなか出せなかったり、逆に自分のことを知ってもらおうと一方的にしゃべったりすることが多いようです。

4.難聴者の場合

一般的に補聴器等をつけても音声が判別できない場合を「ろう者」、残存聴力を活用してある程度聞き取れる人を「難聴者」と言っていますが、手話を母語もしくは主なコミュニケーション手段とする人を「ろう者」、音声言語が中心で手話を使わないか補助程度の人を「難聴者」と言うこともあります。
「難聴」とあるとおり、聴くのが難しいため聞き間違えたり、体調によっては聞こえなかったりで、中途半端に聞こえることから誤解されたり、大丈夫と思われてサポートしてもらえないため苦しんでいることがあります。
補聴器の性能も良くなっていますが、微妙な調整を行わないまま聞き取りにくい補聴器を使っている難聴者もいますので、聴覚検査の時などは適切なアドバイスが必要となります。

<聴覚障害者のコミュニケーション>

障害の状況や育った環境によって、そのコミュニケーションの方法もさまざまです。聴覚障害者にとって有効なコミュニケーション手段について、特徴と留意点を説明します。

1.手話、手話通訳

視覚的にもっともスムーズで有効なコミュニケーション手段であり、特に集団での場面ではほとんどハンディなくコミュニケーションできますが、マスターするのに時間がかかるため、中途失聴者や難聴者には手話ができない人も多いです。
また、単語としての表現は同じでも、音声言語に手話をあてて表現する「音声言語対応手話(日本語対応手話)」と、手話を母語として独自の文法により表現する「日本手話」に大別されますが、コミュニケーションの面では厳密に区別されておらず(言語としては区別されます)、使い分ける人や混ぜて使う人も多いです。
手話通訳は都道府県や(自立支援法の施行によりほとんどの都道府県で廃止になりました)区市で派遣制度があり、ほとんどの聴覚障害者はそれを利用しています。日本では聴覚障害者自身が派遣を依頼しますが、アメリカなどでは病院側が手話通訳と契約する制度だそうです。
手話通訳さえいれば普通に話せばいい、と思っている方も多いと思いますが、それだけでは解決できない問題もたくさんあります。最低でも、早口で話さずにゆっくりと相手の反応を見ながら話す、相手はろう者なのですから手話通訳に向かって話しかけない、時々話を止めて手話通訳が話しについていっているか確認する、といったことを留意していただきたいと思います。

2.筆談、要約筆記

手話をマスターしていない中途失聴・難聴者の場合は「筆談」によるコミュニケーションが最も確実な方法です。普通に話す内容をそのままメモや紙に書いて下さい。ただし、手話を中心とする聴覚障害者の中には先述のような理由で文章の読み書きを苦手にする人も多いので、そう言う方と筆談するときは難しい表現やまわりくどい言い回しは避けて、要点のみを明確に記入します。
手話通訳者に代わるものとして要約筆記者もいて、都道府県や区市町村で養成・派遣を行っています。書くスピードはどうしてもしゃべるスピードより遅くなるため「要約」することでそれを補うわけですが、できるだけゆっくり話すようにすると要約筆記者もより多くの情報を聴覚障害者に伝えることができます。

3.口話、読話

簡単な内容なら口の形で読みとることができます。この能力も聴覚障害者によってまちまちです。「そこに座って」「こちらへどうぞ」といった程度なら、身振りも伴っていればほとんど問題ありませんが、読話は読みとり間違いの確率が高く、聴覚障害者の中にはよくわからなくてもあきらめて判ったふりをする人も多いので、大切なこと、特にきちんと伝えたい内容の場合は、手話通訳を通すか筆談で行った方がよいでしょう。

4.その他のコミュニケーション

手話の一種としての指文字・指数字があり、片手で50音、すべての数字を表すことができるので、これだけを覚えておくだけでもずいぶんとコミュニケーションできます。
筆談の一種として空間に文字を書く「空文字」もあり、多くの聴覚障害者は文字を逆さまに読むことには慣れているので、そのまま大きめに空中に文字を書いても簡単な内容なら読みとれます。手のひらに文字を書くという方法もあります。
これらの方法を組み合わせたり、身振りを交えたりすることで淡々と普通にしゃべるよりはるかに通じやすくなるものです。特に大切な内容を簡略なメモにして渡すことは全ての聴覚障害者にとって有効ですのでできるだけ実践していただければと思います。

長くなりましたが、以上の基本点を踏まえた上で、「聴覚障害者は主に視覚的な情報により判断する」ということを考慮していただければ、聴覚障害者を相手にするとき十分に対応できるのではないかと思います。
参考に、病院でのケースを中心に具体的な問題点や留意点を述べてみます。

<文章の読解力が問題になったケース>

ろう者のAさんは、終戦の前後が学齢期だったため、十分に教育を受けられる環境になく、文章の読み書きが不得手である。胃が痛むので手話通訳を同伴して診察を受けた。Aさんは癌と心配していたが、癌の兆候は見られないので、医師が念のためのつもりで「癌であるとは言い切れない。心配は無用」とメモに書いたところ、Aさんは『癌である』『切れない(手術できない)』『心配しても無駄』と受け止めて「もう死ぬんだ」と思い悩み、ろうあ相談員のところに今後のことについて相談に行ったとき、そのメモを見せて意味を説明してもらってやっと理解できた。

Aさんに限らず、言語獲得の関係から、文章の読み書きが不得手のろう者は多く、特に助詞や接続詞の使い方を間違えたり、複雑な言い回しを反対の意味に受け止めるケースが多いようです。注意点を書いて渡すことは有効な手段ですが、わかりやすくシンプルかつストレートに書くように留意する必要があります。
また、文字もはっきりわかるように書いてください。

<情報・知識の不足により病状が悪化したケース>

Bさんは、先天的のろう者であり、両親兄弟も健聴者で手話を取得しておらず家庭では口話がコミュニケーションの中心である。体調不良のため手話通訳同伴で診療を受けたところ、高血圧気味なので医師が「塩分は控えるように」と注意したが、手話通訳の表した手話は「塩」「等」「注意」であった。Bさんは「塩を使うのはダメ」とだけ思い、塩の代わりに醤油を大量に使ったり、濃い味噌汁やラーメンのスープを平気で飲み続けたりしていた。

昭和初期から近年まで、ろう学校の教育は発語・読話を中心とした口話法教育が中心でした。口話はコミュニケーションとしては有効な手段ですが、周りが話し合っている内容はなかなかつかめないという欠点があります。そのため、幼少時から家族や周囲の会話から得ることができる知識や情報が限られてしまい、普通の人が誰でも知っているような知識や情報が抜け落ちてしまうことがよくあります。
上のケースの場合は手話通訳にも問題があります。ベテランの通訳は通訳対象の知識レベルや状態を的確に把握し、「塩」「等」だけでなく、もっと具体的に「塩の含まれている食べ物」「例」「醤油」「味噌」「等」といったふうに表していますが、その場合でも、医師が早口でしゃべると通訳が追いつかず、「塩」「等」で済ませてしまうことがあります。本当は、手話通訳にサポートを任せるのでなく、医師自身がろう者の状態を把握して、わかりやすく説明するのが望ましいのです。
上のケースの場合、このような会話が良いと思います。この場合も手話通訳を通していますが、医師自身も患者の反応を見ながら身振り等を交えればより理解が深まります。
医師「血圧が高めだから、塩分は控えた方がいいね。塩分、わかる?」
(Bさんの反応を見る)
Bさん(無表情で少しうなずきながら)「塩?わかる。」
(こういう反応の場合は「わかる」と言っていてもたいがい理解していません)
医師「塩辛いものはダメ。醤油は少なく、味噌も薄くか少なく、ラーメンのスープもなるべく飲まないように」
Bさん「ラーメンは好き。食べたい」
医師「麺は食べてもいいけど、汁はできるだけ飲まないように」
Bさん「できる?(飲んでも)いい?」
(通訳の「できる」という手話を見て「飲んでもかまわない」という意味かも、と確認している)
医師「(麺を食べる仕草)OK(指でマル)、(スープを飲む仕草)ダメ(指でバツ)」
Bさん(がっかりとした表情で)「わかった」

<状況(病状)の説明が苦手のため手遅れになったケース>

Cさんは幼稚園から高校までずっと聾学校に在籍。聾学校で口話訓練を受けておりCさんの発音は所々聞き取れる程度。ずっと腹痛が治まらないので病院に来たが、二日前からお腹が痛いと言うだけでどのように痛いのか詳しい説明がないため、医師もなかなか病状が把握できず、病名の特定が遅れた。

ろう学校という限られた範囲で育ち、家族以外の人とも話す機会がなかなかないため、自分のことを知らない人に対して一から理解してもらうように筋道立てて話すことが苦手のろう者も多いです。そのため、大切な部分を話さないまま、という場合も少なくありません。「お腹が痛い」と言っている場合は、医師の方から具体的に「時々痛い?ずっと痛い?」といったように確認した方が良いでしょう。また、「刺すような痛み」のように置き換えてイメージする表現や「にぶい痛み」のように抽象的な表現は理解しにくいろう者も多いようです。どのように痛いかは、ベテランの手話通訳なら、表情や「痛い」という手話の表し方である程度読みとれますから、通訳にどのように痛いのか詳しく通訳して欲しいとお願いするのもいいでしょう。ただし、通訳にどう思うかという意見を求めてはいけません。通訳はあくまでコミュニケーションの仲介者であり、患者はろう者なのです。

<自覚症状がない病気の病状を理解できずに失明したケース>

Dさんは、糖尿病を患い、医師が食生活や治療について何度も注意したが、なかなか注意を守らない。このままでは失明すると話しても食生活は改善されず、とうとう失明してしまった。

病気についての基礎的な知識や情報がなく、また書籍を読んでも意味が分からず自ら学習することがなかなかできないために、自覚症状がない場合は病気ではない、もう治った、と思ってしまうケースが多いようです。根気よく、具体的な例をあげて、痛み等がなくても病気だということを理解してもらう必要があります。

今まで述べてきた例は、主に聾学校出身のろう者に見られる傾向をあげたものですが、同じろう者でも、健聴者と同等かそれ以上の知識、文章力を持った人もいますし、中途失聴者や難聴者はまた違った苦しみや悩みがあります。思いこみを持たずに接することも大切です。

上記のようなケースを見ると、「聴覚障害者は知的な障害も持っているのか」と誤解される場合があります。実際、聴覚障害と知的障害などを併せ持った、「ろう重複障害者」もいますが、特に知的な障害を持っていなくても、知識や情報がないことから知的障害を持っている人たちと同じような対応が必要な時もあります。
しかし、そういう聴覚障害者でも手話の通じる仲間の中で本来の能力を発揮しているところを見れば、知的な面での障害はなく、きちんとした教育と情報があったなら、さまざまなことに対応できる能力を持っていることがわかります。
聴覚障害者が本来持っていた能力を引き出して社会参加を推進する、それが手話通訳であり、コミュニケーション支援です。そして、聴覚障害者のことを社会が正しく理解して受け入れれば、聴覚障害者は普通の人と変わらず生活し、仕事をしていくことができると思います。

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